大好物

「大好物」は、映画「きのう、何食べた?」のエンディングテーマとして書き下ろされ、2021年11月3日にリリースされました。

この曲の歌詞は、映画に寄り添いそのイメージをそのまま当てはめられるようにも作られていますし、また、普遍的な内容として読めるようにも作られています。

今回は、後者の普遍的な内容で読んで行こうと思います。

歌詞と用語解説を先に載せますので、まず読んで想像してみてください。

歌詞

つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋から

連れ出してくれたのは 冬の終わり

ワケもなく頑固すぎた ダルマにくすぐり入れて

笑顔の甘い味を はじめて知った

 

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き

期待外れなのに いとおしく

 

忘れられた絵の上で 新しいキャラたちと踊ろう

続いてく 色を変えながら

 

吸って吐いてやっとみえるでしょ 生からこんがりとグラデーション

日によって違う味にも 未来があった

 

君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち

低く飛ぶ心を 軽くする

うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽ばえてる

もうしばらく 手を離さないで

 

時で凍えた鬼の耳も 温かくなり

呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく

 

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き

そんなこと言う自分に 笑えてくる

 

取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう

続いてく 色を変えながら

用語解説

ダルマ 彼の持つ宗旨「壁観」とは「壁のように動ぜぬ境地で真理を見る禅」のこと。壁面九年の座禅をしたとされる。

甘い味 舌に快く感じられる(抵抗感を与えない)味のこと。

うつろ からっぽなこと、むなしいこと。

 冷酷で無慈悲な人。

歌詞解釈

つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋から

連れ出してくれたのは 冬の終わり

ワケもなく頑固すぎた ダルマにくすぐり入れて

笑顔の甘い味を はじめて知った

後に寒い冬から春になったことを示唆する表現が多く出てきます。この冬とは心の冬であり、部屋とは自分の内側のことを指しているのでしょう。

頑固にダルマのように独りじっとしていた理由は特にない、としていますが、細いつまようじでつつくだけで壊れちゃいそう、なので、つまり、自分が壊れてしまうことを根拠なく恐れ、それから身を守るように他者から影響されないようにしていたというのが理由なのでしょう。

そこに、君が連れ出してくれた=くすぐりを入れられて、笑顔になってみると、その感情の変化はとても快いものでした。

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き

期待外れなのに いとおしく

期待外れなのにいとおしい、というのは、その物が良いものだから好きになるのではなく、君が大好きだから愛おしく感じて僕も好きになることを意味しています。

ダルマのように一人孤独に籠っていたところから、他人の影響を受けられるまでに心が変化したことがわかります。

忘れられた絵の上で 新しいキャラたちと踊ろう

続いてく 色を変えながら

僕は初めから孤独な冬の時代を過ごしていたわけではなく、以前は心に描いていた絵がありました。

それを思い出して、新しく心に入ってきてくれた他人の絵を描き、それらと踊るまでに心が躍動しています。

冬の色のない心の中で固めていないと不安だったところから、さまざまな色に感情を変化させながらでも、自分は続いていけることを僕は知ります。

吸って吐いてやっとみえるでしょ 生からこんがりとグラデーション

日によって違う味にも 未来があった

吸って吐いて、とは深呼吸してリラックスすることであり、君によってリラックスさせてもらえて、その上で変化というものを直視してみると、グラデーションのようにだんだんに変化して良い状態になっていくということが理解出来るようになります。

すると、少しでも変化すれば壊れてしまうような、もうそこで終わってしまうような恐れは誤解だったことを知り、日々、変わっていってもその先に未来があることも僕は知ります。

君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち

低く飛ぶ心を 軽くする

うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽ばえてる

もうしばらく 手を離さないで

時で凍えた鬼の耳も 温かくなり

呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく

このように僕の心に影響を与えたのは、君がくれた僕を笑顔にさせる言葉でした。

言葉とは、良くも悪くも人に影響を与えるものです。

感情を固めて変化させることなく低く安定した場所を飛んでいた心は、君のくれた言葉によって、高くなったり低くなったり軽々と自由に動き回るようになりました。

それでも、やはり不安に陥ったり、落ち込んだりすると、感情を変化させても良いというのは勘違いであったと、空虚な気持ちで諦めそうになることもあります。

けれど、そうではなくて、春が来たということは、タネは確実に芽ばえています。タネから大きな木が育つまでには時間がかかるものなのです。だから、諦めないで、幸せだと思えるまで、手を離さないように辛抱しておこう。

これは、自分にも言い聞かせると同時に、この曲のリスナーにも呼び掛ける、二重の意味を持つのでしょう。

なぜなら、その先を僕は知っているからです。

長い冬によって耳が凍えてしまい(冷たいことを冷酷である鬼と比喩しています)、これまで呪いのように言われ続けていた言葉、呪いに聞こえる言葉は、タネから芽ばえた木々が育ち、そこに小鳥たちが訪れるようになれば、彩りを持った歌声に置き替えられます。

呪いの歌は耳を塞いでシャットダウンしたいものですが、小鳥たちの歌声は嬉しく受け入れることが出来ます。

例え、恐ろしい言葉を聴いても、木々が育っていればそれを歌声に替えてしまうことが出来ます。

心の春は温かさと共に、彩りと、柔軟さをもたらしてくれるようになります。

柔軟な心とは、しなやかな強さを持った心です。

それを知っていますから、もう少し諦めないでやっていこうと言えるのです。

君のくれた言葉は、ここまでの影響力を持つ、まるで魔法のようなものでした。

君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き

そんなこと言う自分に 笑えてくる

取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう

続いてく 色を変えながら

これまであんなに頑なに心の内側に籠っていたのに、他人を受け入れて影響を受けている自分がなんだかおかしくて、けれど、それがとても喜ばしく思えます。

やはり忘れてしまっていたが、ついに取り戻した心の中のリズムで、新しく受け入れた他人と心を合わせて踊ります。

色が変わっても、続いていけるのです。

ここで歌われている「君」は、恋人でも良いですし、友人、家族、同僚、先輩、先生、様々に考えられます。

映画では恋愛のパートナーですが、どのように解釈しても大丈夫なように作られていますので、それぞれ聴く人が自由にイメージできるようになっています。

人生を過ごすうちに何かによって恐れを抱くようになると、他人を心の中に受け入れることはとても怖いことのように思えるのですが、それは実は、しなやかな強さを備えた心を育むことができることであり、その先には素晴らしい未来が待っています。

そのことをこの歌はそっと教えてくれています。